「お客様の想いをカタチに」
September 2025
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P×Ptalk
アメリカで育った「日系人」のスポーツ・マーケッターの中には、
「日本人」が失いかけた日本的価値観と美徳がしっかり宿っていた
「P×P talk」は、当社代表廣川信也が各界で活躍するリーダーと、ビジネスや人生について語り合う対談企画です。
今回の対談のゲストは、株式会社90 PLUS WINE CLUB President ジャックK・坂崎氏です。
株式会社90 PLUS WINE CLUB President
ジャックK・坂崎氏じゃっくけー・さかざき
1946年熊本県出身。57年に家族で渡米し、カリフォルニア大学バークレー校卒業後、スポーツマーケティング分野におけるキャリアをスタートさせる。78年にウエスト・ナリー・ジャパンを設立し、サッカー、陸上などのマーケティングを手がける。87年にJ・坂崎マーケティングの社長となり、ラグビーW杯、サッカー、大リーグ中継などの権利ビジネスに取り組む。
スポーツマーケティング引退後、2009年にカリフォルニア・ナパのプレミアムワインを日本の会員に提供する「90 PLUS WINE CLUB」を設立。現在は会長をつとめるとともに、娘のミッシェル・和美・坂崎氏とともに「KAZUMI WINES」の普及に尽力している。
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「意志」という灯は消さない
坂崎 アメリカ生まれの日系二世の母のもと1946年に熊本で生まれ、10歳で渡米。高校時代は野球とフットボール、そして日本人の誇りとも言うべき柔道の3競技に励み、数学と芸術が得意科目でした。LIFE誌に紹介されたミノル・ヤマサキ氏の影響で建築家を志してフットボールと建築が両立できるカリフォルニア大学バークレー校に入学するも大怪我でフットボールは1年で断念しました。卒業後に就職した建築事務所は、怪我の後遺症により長時間の製図作業が難しく、やむなく1年で退職しました。
その後、英字新聞『ジャパンタイムズ』で、業界最大手で世界的に著名なアーノルド・パーマー等のスポーツ選手のマネジメントを行うIMG社の日本法人立ち上げに伴う人材募集記事を見つけ入社しました。入社動機の一つは、学生時代の苦い経験です。柔道の全米大学選手権のスポンサー集めや広告制作で無理が重なり、大会前日に胃痙攣を起こし、点滴を受けながら選手として出場したものの、力を出し切れず敗退しました。今でも若くして才能に恵まれたスポーツ選手が、その人気故に練習時間や集中力を奪われ、活躍できず終わってしまうというケースがあります。選手が競技に専念できる環境整備のためにもプロ・マネジメントの存在は今でも不可欠だと思っています。

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曲げてはいけない「フェアプレイ」の精神
坂崎 まだです。当時は海外のプロスポーツ選手の日本への売り込みが中心で、ゴルフはすでに「ドル箱」でした。私はまだ知名度が低いテニスとスキー選手の担当。「日本人が知らない選手をどうやって日本に売り込むんだ!?」と頭を抱えながらのスタートでした。初マネジメントはテニスのビヨルン・ボルグ。16歳でプロ転向し、ウィンブルドンでベスト4入りした年でした。彼からラケットを木製から複合素材に変えたいという要望があり、本社から日本の各ラケットメーカーへの契約交渉を任されたのです。必死のプレゼンの甲斐あって、あるメーカーと内定が決まったものの2週間後に本社から「他社からさらに高額のオファーが来ているので金額を引き上げてもらえ」との指示。日本社会に対してそんな理不尽なことは言えないと悩みましたが、事情を説明し、最終的に希望額を捻出してもらいました。しかし、今度は選手本人が「やはり木製がいい」と言い出し、契約は白紙に。「こんな不誠実な仕事はできない」との思いが募り、入社から約2年で退社を決意しました。この経験を通じて「ビジネスにおいて卑怯なことは絶対にしない」というフェアプレイの精神が生まれました。
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重要な「武器」
坂崎 いいえ、最初は日本名の「坂崎和憲」でした。しかし、日本語が不自由だったことで「なぜ日本人なのに話せないのか」と不審に思われ、ビジネスに支障をきたしました。そこで「ジャックK・坂崎」に変えたところ、「ハーフですか?」と聞かれ、「いえ、100%日本人ですがアメリカ育ちです」と自然に説明できるようになりました。
廣川 短所を『日米の橋渡し役』という強みに変えた一枚の名刺。まさにパーソナル・マーケティングの真髄を感じる事例です。
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坂崎 28歳の時、放送局でゴルフ番組を制作していた方から「スポーツと営業の両方に明るい人材を探している」という突然の電話。お会いすると、「国際的なスポーツイベント生中継の放映権を取得し、日本のテレビ局に売る会社を立ち上げる。俺が代表になるので副社長と株主になってほしい」といきなりの打診。通信衛星の運用開始に伴い、海外のビッグイベントを生中継できる時代が到来しつつあり、それを見越しての1976年に設立された新会社TPI(テレ・プランニング・インターナショナル)の立ち上げでした。
廣川 まさに先見の明ですね!
坂崎 時差の関係で、海外のビッグゲームはアメリカでの開催試合は日本の早朝、欧州での開催試合は深夜に生中継されます。大手広告代理店独占のゴールデンタイムとは違い、その時間帯は日本のテレビ局では「空き枠」として、放送枠の提供を快諾してもらうことができました。
廣川 「バッド・ロケーション戦略」という言葉がありますが、これはまさしく「デッド・タイム戦略」だと言えるでしょう!
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坂崎 はい。ゴルフのマスターズ、全英オープン、テニスのウィンブルドン、さらにはメジャーリーグのワールドシリーズなどの生中継の放映権を、世界中を飛び回って獲得しました。放送は深夜にも関わらず高視聴率を記録し、スポンサーも続々と集まりました。その結果、各方面との幅広いコネクションを築くことができたのです。


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坂崎 彼はウエスト・ナリー社(英国スポーツ・プロモーション企業)の共同代表で、IMG社時代の仲間の紹介で挨拶目的でロンドンへ立ち寄ったところ、話が弾み、予定していた30分が3日間のビジネス・ミーティングへと変わりました。
廣川 どんな内容だったのですか?
坂崎 当時、サッカー・ワールドカップ(以下、W杯)のスポンサーは大会ごとの個別募集が慣例とされていました。しかし1982年スペイン大会からは、商品販売、スタジアム看板、広告でのロゴ使用等をワン・パッケージ化し、さらに欧州選手権なども含めて「インター・サッカー4」として4年単位・1業種1社限定で提供する画期的なモデルが確立されました。その推進者が、ナリー氏で、彼から「日本市場を担当して欲しい」と打診され、すぐにウエスト・ナリー・ジャパンを設立。半年で必要なスポンサー企業をまとめ上げました。
廣川 驚異的なスピードですね!
坂崎 彼とのミーティング直後に日本へ戻り、ある大手広告代理店に提案しましたが、門前払いを受けました。一方、別の代理店からは「W杯全32試合に加え、欧州選手権の何十試合もの権利が得られるなら、検討の価値はある」と好反応。そこからの紹介で、ある企業の担当課長を出張先のロンドンまで追いかけて説得。最終的に、契約金を半額にするために看板を始めとする権利関係を半分に減らすことで成立させました。「今後欧州各国に現地法人を展開する予定で、各言語で広告を出すより世界共通のロゴがテレビに映る方が費用対効果が高い」との判断が、他スポンサー獲得の呼び水にもなりました。
廣川 個人的に興味深いのは、1983年の第1回世界陸上ヘルシンキ大会での、TDKによるゼッケン広告契約です。すべての選手の胸に企業ロゴが入る。マラソンなら2時間以上テレビに映り続け、極めて大きな広告効果がありますよね。これも坂崎さんのアイデアだったとか?
坂崎 はい。世界的な知名度と市場拡大を目指していたTDKに、「誰が勝ってもTDKですよ!(笑)」と提案したら、「それは面白い」と前向きな返答をもらえました。ただ、ロゴが3文字と短くテレビ映えしないという課題がありました 連盟に交渉を重ね、最大幅2.8 cmで承認を得ましたが、TDKからは「3.3 cmは必要」との要望をうけ、私はその場で「わかりました」と即答するものの、その幅はまだ正式に承認を得ていませんでした(笑)。何かあれば自分で責任を取る覚悟でそのまま進め、大会初日の表彰台の3人のゼッケンに「TDK」のロゴがテレビにはっきりと映し出された瞬間、「目立ち過ぎだ!バレるのでは?」と内心ヒヤヒヤでした。でも、誰にも指摘されず、むしろ今ではそのサイズが国際標準になっています(笑)。結果、TDKは欧州市場での売上も大きく伸ばし、「世界陸上、『TDK』が金メダル」という印象的な見出しが踊るほどでした。
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坂崎 はい。1982年のW杯スペイン大会の数か月前、FIFAに強い影響力を持つある人物が日本の大手広告代理店と組み新会社を設立し、1986年のメキシコ大会以降のFIFA関連の全権利がウエスト・ナリー社からその新会社に移されてしまったのです。私が一から開拓したスポンサーも、一から創り上げた「トヨタ・カップ」までをも。ウエスト・ナリー社の株式などの内部事情にもっと精通しておくべきだったという悔いはありますが、もはや為す術はありませんでした。理不尽な結果ではありましたが、全てを受け入れました。何よりも「フェアプレイ」を貫きたかったからです。
廣川 この逆境をどう乗り越えましたか?
坂崎 自ら立ち上げた「ラグビー・ワールドカップ」をはじめ、ウエスト・ナリー社に残されたイベントの成功に向けて全力を注ぎました。そして1987年、同社から独立して「J・坂崎マーケティング(JSM社)」(後のジャパン・スポーツ・マーケティング)を設立しました。
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自ら「現場」に足を運ぶこと
坂崎 当時、日本企業がアジア市場に本格的に参入し始めた時期で、各国のインフラも整いつつありました。「欧州のようにスポーツを通じてアジアで知名度を高めたい」という日本企業のニーズが高まり、ほぼアジア全域をカバーする「共通言語」はやはりサッカーだと考えました。そのため、AFC(アジアサッカー連盟)主催の大会のスポンサー権をW杯スペイン大会のようにワン・パッケージ化し4年1サイクルで販売する戦略を取りました。日本企業にとっては、「日本戦以外の中継でも自社のロゴ看板がきちんとテレビに映るのか?」が最大の関心事。そこでスターチャンネルに対し、放映権料は一切取らない代わりに、全試合の中継を確約してもらう形を取りました。
廣川 メジャーリーグを日本にとって身近な存在にしたという点でも坂崎さんの果たした役割も非常に大きかったのでは?
坂崎 1990年、日本でのメジャーリーグ中継が始まるのに合わせて、「バックネットサイネージ(バックネット下フェンス部分のデジタル広告)」を日本に初めて紹介しました。日本のプロ野球中継では、広告と番組スポンサーが競合する一方で、メジャーリーグ中継はアメリカ側制作の映像が使用されるため、国内のテレビ局が関与する余地がありませんでした。また放送がNHKで民放スポンサーとの競合もなく、多くの日本企業がメジャーリーグの「バックネットサイネージ」に広告を出稿するようになりました。さらにこれを進化させ、フィールドに実際には存在しない広告をテレビ画面上にCGで表示する「バーチャル広告」の仕組みも紹介しました。
廣川 著書 『フェアプレイ』(1998年刊)で掲げた「野球のワールドカップ」という夢が、2006年のWBCとして実現しましたね。
坂崎 はい。MLB国際部の日本代表として、「野球にもサッカーW杯のような大会が必要だ」と訴え続けた結果だと思っています。
廣川 またこのWBCでも「バーチャル広告」が大活躍していますが、国内外を問わず現場に自分で足を運んで、「アジア・マーケット」や「メジャーリーグ」、そして「スタジアム×デジタル広告」といった情報やアイデアを大手広告代理店に先んじていち早く目を付け、即座に実現させることこそが「小」が「大」に勝つための戦略なのですね。

2003年にジャックK・坂崎氏が招聘した
レアル・マドリードの一員として来日した
デビッド・ベッカム氏と

ケン・グリフィーJr.とイチローの
ダブルサインボール
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坂崎 多い時で50人ほどです。陸上、ラグビー、アジアサッカー、中国プロ野球など、分野ごとにプロジェクトを編成し、新入社員でも入社翌日からクライアントの制作会議に参加したり、現場へ足を運ばせたりしていました。入社の際には「本気でこの仕事をやりたいなら、自分のすべき事を実践の中で見つけなさい。それが君たちの『財産』になる」と伝えていました。
廣川 それはもはや「会社」というより「道場」ですね。もしその頃にお会いしていたら、間違いなく「弟子入り」させてもらっていました(笑)。その後、スポーツ・ビジネスの本質が歪められ、業界が巨大化、マネーゲーム化する中で、会社を手放す決断をされたそうですが、スタッフの皆さんはその後どのようにされていますか?
坂崎 無借金経営を続けて、全員に退職金を渡したうえで、2008年に誰にも迷惑をかけずに会社を手放しました。スタッフの多くはその後、プロスポーツ選手のマネジメントやスポーツ・マーケティング、スポーツメディアといった分野で、現在も活躍してくれています。
廣川 JSM社という「組織」は消えても、そこで培われた「DNA」がさまざまな業界で新しいビジネスを創出していく。「組織」は新しい才能を育む「土壌」でなければならないのですね。
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静かな「余生」はやってこない
坂崎 母親のこともあり、60歳を機にアメリカに戻ることにしました。「終の住処」として選んだのは、以前から決めていたナパのシルバラードです。海も山も近く、多くのワイナリーが点在する一方で、PGAツアーが開催されるゴルフコースにも自宅からカートで行けるという立地に、強く惹かれたのです。

坂崎 いえ、全く。2010年頃、ワイナリーオーナー達から「君はもう『ジャパニーズ』ではなく『ナパニーズ』なんだから、日本にもっとナパワインを紹介すべきだ」と言われたのです。ちょうどその頃、ナパを訪れた日本の友人達がワインの発送を手伝った経験もあり、「協力するよ」と即座に答えました。1回に25〜150ドル程度のワインを12本組み合わせ、年3回、合計36本を厳選して提供します。そして、時間短縮と温度管理を実現するため、航空便で日本の会員に届けることとしました。こうして誕生した「90 PLUS WINE CLUB」は、発足からすでに15年。日本でのテイスティングイベントも、まもなく50回に達します。ちなみに「90 PLUS」とは、専門家による世界的評価で90点以上のワインを扱うという意味で、私が90歳までやるという意味ではありません(笑)。
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果たし続けなければいけない使命がある
坂崎 自分でも「よくやってるな」と思うことがあります。スポーツ業界で活動していた頃は、移動手段がファーストクラスでしたが、現在はエコノミークラスです。日本への1回の渡航滞在費を賄うためには、ワインを何千本も売らなければならないのです。
廣川 それだけの手間と時間をかけ、しかもスポーツ業界と比べて利益も少ないビジネスを、なぜ続けるのですか?
坂崎 始めたことは、成功するまでやり遂げないと気が済まない性分だからです。
坂崎 彼女は、ワインが日常的に溶け込んでいるミラノで6年間ファッションの仕事をしていました。その後、ニューヨークで責任者として働き詰めの日々を送っていて、その様子を見て、ナパに戻るよう勧め、ワインクラブの仕事を手伝わせることにしました。ところが、それだけでは物足りず、「ワインをつくりたい」と言い出したのです。
廣川 さすが、娘さんもお父さんに負けず劣らず超積極的ですね(笑)。
坂崎 それで「KAZUMI WINES」を立ち上げ、知人が栽培したブドウを使い、ソーヴィニヨン・ブランとカベルネ・ソーヴィニヨンの醸造を始めました。その後、偶然「KOSHU(甲州)」という品種に出会い、私の『魂』に再び火が灯りました。「私はこのためにワインクラブをやってきたのだ」と感じるほどの啓示を受けたように思えたのです。

ミッシェル・和美・坂崎氏(右)、ヴィンヤードにて
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坂崎 2017年10月、ナパで大規模な山火事が発生しました。自宅は無事でしたが、裏手にあった小さなヴィンヤードのカベルネが木は全滅してしまいました。途方に暮れていたところ、カリフォルニア大学デイビス校に約100年前に寄贈された「甲州」の苗木が保存されているという情報を耳にし、根だけ焼け残ったカベルネにその苗を接ぎ木して試しに栽培してみました。すると栽培開始から1年弱で驚異の生命力を見せ、青々としたヴィンヤードが甦りました。

(左から)Napa Valley Koshu 2024、Sauvignon Blanc 2022、Cebernet Sauvignon 2022、Sparkling Koshu 2023
坂崎 いやいや、「KOSHU」のほうが私なんかよりよほど優秀ですよ(笑)。
廣川 日本の「 甲州 」とナパの「KOSHU」は何が違うのですか?
坂崎 土壌、雨量、風、寒暖差など、育つ「環境」が全く異なります。ナパでは粒の大きさが適度に保たれ、皮がふやけたり裂けたりして菌が入ることがなく、味わいが安定します。
廣川 同じ「種」でも、育つ「環境」でこんなに変わるとは驚きです。
坂崎 「甲州」はナパの環境があったからこそ、「KOSHU」として素晴らしいブドウに進化した。それを信じてやってきた結果、「やっぱり間違っていなかった」と心から思えました。
廣川 かつては価値の引き上げ対象がアスリート、今はワインなのですね。スポーツとワイン、どちらのビジネスが難しいですか?
坂崎 ワインです。スポーツイベントは、我々のアレンジ次第で価値の引き上げが可能ですが、ワインは自然が相手。最終的なブレンディングの段階でしか人の手を入れることができないからです。

ワイン・テイスティングイベントの様子
坂崎 「KAZUMI KOSHU」は、2025年はまた一味違うヴィンテージになりそうですし、今春に完成したスパークリングや秋のピノ・ノワールのリリースなどラインアップが充実してきています。現時点ではまだ知名度の低い「KOSHU」ですが、いずれ世界でシャルドネやソーヴィニヨン・ブランに次ぐ『第三の白ワイン』として認識されると確信しています。アメリカ社会で認められるまで、ある程度の知名度が得られるまでは私が責任を持ってこの事業を続けるつもりです。そしてその段階に到達した際には、娘にバトンタッチする予定です。
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坂崎 そうですね。不思議と運命的な「出会い」や「チャンス」が私に巡ってきました。チャンスは誰にでも平等に訪れます。しかし、100人中95人は気付かずに見過ごし、残る5人のうち、実際に行動を起こすのは1人ぐらいです。私はその1人だと思っています。そして、決断は一瞬で下します。
廣川 世界的なスポーツイベントにしても、ナパの立地や「KOSHU」との出会いにしても、まだ誰も注目していないもの、あるいは他の人には無意味に映るものに目を向け、見極め、即断し、粘り強く育てていく。その結果として独占的で独創的な価値が生まれるということなのですね。たとえ、W杯の権利はく奪や山火事という「悲劇」があったとしても。
坂崎 山火事がなければ、この苗に光が当たることも、「実験」を試みることもなかったでしょうし、大手のヴィンヤードも協力してくれなかったと思います。

対談後の打ち合わせ風景(ジャックK・坂崎邸にて)
ありがとうございました!
対談後の2025年4月・5月にかけて、「KAZUMI WINES」はアメリカ国内の「FOX-TV」や「SF Chronicle」といった主要メディアで大々的に取り上げられ、その知名度は急速に高まってきています。
〒150-0013
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TEL: 03-5768-4307
Email: info@the90pluswineclub.com
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現場からのセレクト情報
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(外部リンク)過去実証動画はこちら

消費者の購買意欲を刺激し、売上単価アップに貢献する「価値ある」ドリンクカップ

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現場からのセレクト情報
寿司文化の進化系!専用トレーが支える、妊婦に優しい加熱寿司

新卒で大手食品メーカーに入社し、営業・海外駐在・マーケティング部を経験。2021年に地元福岡へUターンし出産。自身の妊娠中に食事が制限され、食べたいものを食べれなかった経験をきっかけに、生ものを控えている方も安心して食べられる「加熱寿司」を企画、開発。クラウドファンディング成功を経て2022年6月に独立。「第4回子育て支援大賞2023」を受賞。製造から販売まで手掛け、「加熱寿司」で食の可能性を広げる挑戦を続けている。
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木質繊維由来の再生紙を外装のボトルに加工、ボトルの内部はワインの酸化を防ぐアルミ蒸着ポリエチレン内袋を装着したもので、昨年春にこれも米国大手スーパーのWhole Foodsの限定店舗で試験販売された後、Targetは全米1,200店舗で本格販売することを決めた。この紙ボトルを製造している英国のFrugalpac社によれば、750mlのフルボトルの重量は従来のガラス瓶の1/5程度の軽さで、誤って落としても割れることはなく、素材の94%に再生紙が使用されているという。ワインを飲み終えた後は、ボトル内部のポリエチレン袋を外せば、段ボールや雑紙のリサイクルストリームで一緒に回収、再生ができる。最近、米国7-Elevenの西海岸各州の店舗でも販売されることが決まったという。

2025年4月、全米のTargetのワイン売り場に一斉に並んだFrugalpac入りの「Collective Good」ワイン

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パケトラ | pake-tra.com

第1位 Budweiser(バドワイザー)「First Delivery」
米国唯一の全国紙USA Todayは毎年スーパーボウルの広告を消費者を含めたパネラーの投票により「USA TODAY Ad Meter」としてランキングしています。今年の1位はBudweiserが選出されました。Budweiserの歴史をアピールしたCMが見事に「USA TODAY Ad Meter」による好感度トップになりました。まだ配送に馬車が使われていた時代に、1頭の仔馬が思わぬ事故で取り残されてしまい、ビール樽を運ぶ様子が描かれています。
記事の続きは「パケトラ」でチェックしてみてください。
(外部リンク)スーパーボウルを彩るパッケージ
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一切れごとに絵柄が変化する羊羹のワンシーンをイメージした幻想的なパッケージ
『羊羹ファンタジア Fly Me to The Moon』


株式会社長門屋 本店
〒965-0865
福島県会津若松市川原町2-10
電話番号:0242-27-1358
営業時間:9:30~17:00
定休日:日曜日
https://nagatoya.net/(外部リンク)
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ブラックライト印刷による偽造・不正流通対策

紫外線(UV光)を照射すると発光する特殊インキを使用した印刷技術です。通常の照明下では無色透明のため、製品デザインやブランドイメージに影響を与えず、製品やラベルに目立たない形でセキュリティ要素を実装できます。従来のホログラムや特殊シールと比較してランニングコストを抑えられる点も大きな特長です。主なメリットと用途
・返品時の真贋判定
卸先や小売店舗からメーカーへ返品される商品についても、ブラックライトを使えば短時間で真正性の確認ができ、不正な返品や模倣品・誤返品のリスクを大幅に軽減します。
・コストパフォーマンス
高価なセキュリティラベルやホログラムと比較して低コストで導入でき、安価な商品や大量流通製品にも適用可能です。
・幅広い応用
一般製品への導入だけでなく、イベントの入退場管理用チケット、各種証明書・保証書など、多彩な分野でご利用いただけます。
導入事例と反響
・低価格帯の商品でも、海外市場で流通量が増加したことにより、正規ルート外から流通する模倣品対策として導入された例があります。
・ネット通販などで流通したコピー品の返品時に、現場で簡易な真贋確認が可能となったことで評価されています。
・他の偽造対策技術と比較して導入コストや運用負担が小さく、メーカー担当者様や流通現場でのスムーズな運用、業務効率化に繋がっています。
家電や化粧品などのブランド保護や流通管理を強化したいメーカー様はぜひ一度ご相談ください。サンプルや詳細資料のご用意も可能です。お気軽にお問い合わせください。
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落ち着いた雰囲気の中で堪能する
日本各地の厳選食材と絶品料理


住所:〒530-0013 大阪府大阪市北区茶屋町2-25
※1階が物販フロア、2階が地産美食の小皿料理フロア、3階が炭火焼とお酒フロア
TEL:06-6690-8878
アクセス:大阪環状線「大阪」駅 徒歩7分/大阪メトロ御堂筋線「梅田」駅 徒歩6分/
阪急京都線「大阪梅田」駅 徒歩3分/大阪梅田駅(阪急)から144m
駐車場:なし
営業時間:11:30~15:00/17:00~22:00
営業曜日:月~土
定休日:日曜日
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【Tシャツサイズ】
胸囲約90cm、着丈約74cm
「フィラデルフィア・イーグルス」はアメリカ東海岸、ペンシルバニア州フィラデルフィアを本拠地とするチームで、第59回スーパーボウル※(2024年)で7年ぶりに優勝しました。このTシャツは優勝後、選手や監督が優勝セレモニーやメディア出演時に着用した特別なモデルです。
※スーパーボウルとは、アメリカンフットボールのプロリーグ「NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)」の優勝決定戦のこと。